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第9回 大河内 大博(本学会理事・広報委員会副委員長)

「弔い」とコロナ

 「A子、わしと一緒になって幸せやったんかあ」。ご訃報が届き、いつものベッドで安らかに眠るA子さんの横で、ご主人が語りかけた言葉が今も心に残っています。枕経という臨終直後に行う仏門に入る儀式を終えた時、「もう仏さんになってもうたんか」と呟かれた息子さん。少しだけ、遠くに行ってしまったような感覚になられたのだろうと感じました。ご家族それぞれが、ただいつものように眠っているだけのようなA子さんを囲み、思い思いに言葉を掛け、思い出を語り、時に、「早よ目を開けえや」と現実を受け入れられない涙を流す時間が続いていました。

 通夜・葬儀が終わり、いよいよ最期のお別れとなった火葬場でも、皆が棺から離れることができず、葬儀社社員に促され、棺の扉を閉じ、炉へと入って行かれました。炉の扉が閉まる最後、ご主人・息子さん方の「ありがとー!」の声が斎場全体に響きわたりました。引き裂かれる思いと共に一つの区切りを付けようとするご遺族の背中を見て、涙が止まりませんでした。僧侶である私の読経よりも、何百倍も「ありがとうー!」の言葉が、旅路の安寧を約束してくれたと思います。

 コロナ禍の弔いは、こうした最期の別れや弔いの時間さえ奪ってしまっている現実があります。お見舞い・看病も十分にできないでのお別れ、弔う時間さえ短縮せざるを得ない選択をされるご遺族も増えてきました。新型コロナ感染症による死亡の場合は、ご遺体そのものの扱いや弔う形式にも、猶予なく選択が限られ、ご遺族の気持ちをより一層厳しいものにする現実となってしまっています。
 私は、名ばかりの仏教僧侶ではありますが、臨床での傾聴をベースとしたスピリチュアルケアと同等に、儀礼によるスピリチュアルケアの力を信じ、実践してきました。最初に紹介したご家族は、ご家族の意志と選択で、精一杯の看取りと弔いをされました。一方で、面会のできない1年以上を過ごし看取られたご家族、新型コロナによる看取りとなり、通常の葬儀ができなかったご家族などの深い後悔の念をお聞きすることが増えてきました。イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンは、イタリアの現状に対して、死者に対する敬意さえない倫理的混乱のなかにあると警鐘を鳴らしています。

 新型コロナウイルスというウイルスは、一見、人間全体に平等に驚異であるように見えて、浮かび上がってきたのは、より社会的に脆弱な集団や個人に襲いかかっているということだと感じずにはいられません。

 スピリチュアルケアは、どこまでもミクロに個人に寄り添うとともに、声にならない声の代弁者として、社会に発信するマクロな働きが求められていると「弔い」の現場から実感します。本学会の社会的使命は、不安と混乱のなかにある今、さらに高まっています。