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第8回 鎌田 東二(本学会理事・広報委員会委員長)

霊性とスピリチュアルケアとインターフェイス

 「霊性」という言葉が一般によく知られるようになったのは鈴木大拙の『日本的霊性』によってであろう。もちろん、さかのぼれば、少なくとも平安時代末か鎌倉時代から「霊性」という語が使われていたことは、卜部兼友の『神道秘説』や道元の『正法眼蔵』を読むと明白であるし、また近世の儒学者や国学者の著作にも出てくる。

 だが、それを思想や精神世界のキーワードとして浮上させたのはやはり鈴木大拙の功績と言うべきだろう。しかし、そうだとしても、神道思想などを中心に日本文化や日本思想を考えてきたわたしにとっては、大正12年(1923)の『神の国』4月10日号に、大本の出口王仁三郎が「大本には基督教も仏教も其他各国の宗教信者も集まって来て互にその霊性を研き、時代に順応したる教義を研究する所であります」と記していることを見逃したくないし、神道の文脈においても「霊性」の思想史があることを重視したい。

 それではその霊性とは何であるかだが、鈴木大拙は「日本的霊性の自覚」は念仏と禅において顕現したと捉えた。前者は情性方面において、後者は知性方面において日本的霊性自覚を徹底させ、宗教意識の深化をもたらしたと洞見したのである。

 しかし、そのような捉え方は偏った見方ではなかろうか。空海の密教や天台本覚思想や日蓮の法華経観や神道における霊性思想にも相応の日本的霊性自覚があり、それらを含めて公平に評価することが求められると思う。

 わたし自身はと言えば、かなり昔から自分の語りの中で、「神」とか「霊」とかという言葉を頻回使ってきた。書名としても、最初の本『水神傳説』(泰流社、1984年)以来、『神界のフィールドワーク-霊学と民俗学の生成』(創林社、1985年)、『魂のネットワーキング-日本精神史の深域』(松澤正博氏との対談、泰流社、ともに1985年)、『宗教と霊性』(角川選書、1995年)、『霊性のネットワーク』(喜納昌吉氏との対談、青弓社、1998年)、『霊性の時代―これからの精神のかたち』(加藤清氏との対談、春秋社、2001年)、『霊性の文学誌』(作品社、2005年)、『霊の発見』(五木寛之氏との対談、平凡社、2006年)などで、「神」とか「霊」とか「魂」とか「霊性」とかの語を何度も用いてきた。

 そうした「霊」や「魂」や「霊性」との付き合いの過程で、それではその「霊性」をどう捉えてきたかと言うと、昔は、主としての個々の人間存在の①丸ごと(全体性)、②根っこ(根源性)、③深まり(変容・深化)を指し、「生のコンパス(羅針盤)」と捉えていた。

 その考えは基本的には今も変わらないが、最近はより分かりやすく、「体は嘘をつかない。が、心は嘘をつく。しかし、魂は嘘をつけない」と言うようになった。そして、「嘘をつけない」魂のレベルを「霊性」の次元と言うようになってきた。身体性の自然・生理的メカニズム、心の人間的操作性、そして霊性の観想的知覚・洞察、そのかただとこころとたましいとの三者の関係性をそのような違いや位相として考えるようになった。

 そして、生きる意味や価値や力動と深くかかわる「スピリチュアルケア」において、とりわけ、日本の文化風土の中では「ナチュラルケア(healing through nature)」とも言えるような自然の力動やはたらきに対する畏怖畏敬や信頼や美的親和性が重要さな意味と役割を持っていることを年とともにいっそう強く感じるようになってきた。

 わたしは比叡山の麓に住んで、これまで733回比叡山に登拝し、森の木々や岩や滝などを拝しつつ、山頂付近で天地人に捧げるバク転を祈りの儀式として3回行ない、これを「東山修験道」と称している。バク転などがなぜ祈りになるのかと不審に思う人がいると思うが、間違いなくこれは自分にとって祈りでありセルフケアであると実感している。そしてそれが日本的霊性自覚につながっているというつもりはないが、しかし間違いなく、比叡山という聖地・霊場は日本的霊性自覚を促してきた地場であり「ナチュラルケア」の拠点であると実感する。天台千日回峰行を支え、「一仏成道観見法界、草木国土悉皆成仏」として命題化されていく天台本覚思想などは、そのような日本的霊性自覚とナチュラルケアの実践事例と思想の核心部である。

 まもなく丸2年に及ぶコロナ禍の中で、否応なくわたしたちは「3密回避」を余儀なくされ、「オンライン」に頼らざるを得ない状況にある。しかし、本当にわたしたちが求めているのは、「三密加持」(空海)や「同行二人」(四国遍路)のような合一や近接や同道のありようで、それこそ「オンライフ」であり「インライフ」という「いのちの声を聴き届ける道」だと思うのである。

 わたしたちのこの時代に、「インターネット(internet)」や「インターフェース(interface)」はなくてはならないツールであり機能であるが、そこからさらに深く「インターフェイス(interfaith)」に参入していく心と霊性(spirituality)の下降と上昇と横超(親鸞)が求められていると感じる。その「インターフェイス・チャプレン」を「臨床宗教師」と名付けたこの時代の動向と要請を日々の生活の中で汲み取り、活かしていきたいと思うが、古希を過ぎてもまだまだ道半ばであり、いつも忸怩たる思いの中にいる。