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第28回 伊藤 雅之(本学会会員・愛知学院大学)

現代におけるコンパッションの必要性

 2000年代以降、ヨーガ、マインドフルネス(瞑想)、スピリチュアルケア、ポジティブ心理学など「ウェルビーイング(持続的幸福)」を強調する文化的潮流が世界的に発展してきている。それらは宗教のみでなく、医療・看護、心理療法、教育、ビジネスなど多様な分野に広がってきている。心とからだのつながり、ありのままの自己受容、自然との調和などを通じて、からだの健康だけでなく心の平和を求めることが、この文化潮流の特徴となっている。1960年代以降の欧米や東アジアで発展し21世紀になると主流文化の一部になってきているこうした潮流をわたしは「現代スピリチュアリティ文化」と呼んでいる。

 わたしは宗教社会学の視点から現代スピリチュアリティ文化の特徴を研究するとともに、自分自身がヨーガや瞑想の実践者として、ときには指導する立場から現場にかかわってきた(たとえば、ヨーガ哲学講座、マインドフルネス入門講座などを各地で開催)。また、精神看護を専門とする研究者とともに、ポジティブ心理学、セルフ・コンパッションを用いた介入調査を進めてきた。

 わたしがフィールドワークで接した人びとがヨーガやマインドフルネスに関心をもつきっかけは、夫婦や親子、職場での人間関係の悩み、人生の意味や目的の喪失、仕事のストレス、産後うつ、自身の病気、親の介護や看取りなどさまざまである。しかし、これらは生きていくうえでわたしたち誰もが直面する悩みでもある。こうしたスピリチュアルペインにたいして、自分自身や身近な他者をありのままに受け入れ、あたたかなまなざしを向けるコンパッション(共感、思いやり、慈悲)の大切さがしばしば語られている。

 現代ヨーガにおいてもコンパッションの重要性は強調されている。一般にはダイエット、健康法の側面の強いヨーガだが、練習のおわりに唱えるマントラのなかで「生きとし生けるものの安寧」を祈ることは一般におこなわれている。たとえば、現代ヨーガの代表的流派の1つ、アシュタンガ・ヨーガにおいては、『リグ・ヴェーダ』に由来するとされる一節がサンスクリット語で唱えられている。意訳すれば、つぎのとおりである。

 

  オーム

  すべての人々に平安あれ。

  世界が美徳によって正しく治められますように。

  聖なるものが永遠に清らかでありますように。

  世界が平和でありますように。

  オーム シャーンティ

 

ヨーガの実践を通じて得たエネルギーが、自分のみでなく、世界の平安に貢献しますようにという、仏教でいう回向(自分の修行で得た功徳を一般の人たちに広めること)に当たることばとして捉えてよいだろう。

 現代スピリチュアリティ文化は、「いま、ここ」「内なる声に耳を傾ける」「ありのままの自分」といったキーワードに表される、現在志向、感性重視、自己肯定を掲げる価値観がその根幹にある。見方を変えれば、現代社会は未来志向、理性重視、そして(広義の)自己否定的な価値観が広がっていると捉えることができるだろう。

 グローバル化した世界経済の発展のなかで、政府による規制の最小化と自由競争を重んじる新自由主義的価値観(ネオリベラリズム)が社会全体に広がっている。自由競争が激化するなか、自己評価を高く保ち続けることは容易ではない。そうした状況にあっても自己責任論が強調されるため、自己の精神と身体のウェルビーイングを保持することも個々人の責任とされる傾向がある。他者への思いやりや自分へのやさしいまなざしが忘れられがちな現代社会において、コンパッションを自ら育むことがきわめて重要な理由はここにある。

 それでは、現代におけるコンパッションの広がりをどのように評価すればよいのだろうか。以前は特定の宗教伝統に限定されていたコンパッションにかんする文化資源は、いまでは現代スピリチュアリティ文化の一部として社会全体へ浸透しており、それを高く評価することは可能であろう。一方、新自由主義的イデオロギーを改善することなく、個人レベルでのコンパッションの実践を強いているのではないかと批判することもできるだろう。

 いずれの立場をとるにせよ、現代に生きるわたしたちとしては、自己や他者に向けてのコンパッションの意義やあり方を模索しながら、微力ながらでも、自分自身、自分のまわりの人たち、そして生きとし生けるものの安寧を願う気持ちを涵養していくしかないように思われる。