コラム・読み物・声
第16回 島薗 進(本学会副理事長)
共著紹介:『見捨てられる〈いのち〉を考えるーー京都ALS嘱託殺人と人工呼吸器トリアージから』安藤泰至・島薗進編著、川口有美子・大谷いづみ・児玉真美著、晶文社、2021年10月刊
新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、医療、生命科学と私たちの生活が深く関わっていることがあらためて痛切に自覚されるようなった。2019年の末には中国ではすでに感染が広がっていたようだが、2020年に入ると中国の武漢から欧米諸国を初めとする世界各地に広がり、感染者と死者の数は急速に増大した。日本も3月にはすでに厳しい事態に追い込まれ、2021年の1月、4月、8月など3波の流行時には多くの犠牲者が出た。医療機関は患者の受け入れが限度を超える事態にもなり、家族らは犠牲者を看取り、葬儀で送ることもしにくい状況が続いた。介護施設では医療措置を受けられずに死亡する人が続出した。それ以外にも、十分な医療を受けられずに死亡する人や、仕事を続けられずに貧窮に陥る人、自死せざるをえない人も生じた。看取りや死別も寂しいものになりがちだった。
そういう中でいのちの選別ということが強く意識され、危惧されるようにもなった。医療崩壊の状況ではいのちを見捨てることもやむをえない状況が生じてしまう。現代医療の倫理的な土台の危うさが露呈してきたとも言える。ちょうどそのような折、京都のALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんの嘱託殺人が2020年7月に報道された。前年11月、2人の医師が死にたいという意思を示した女性を死に至らしめる措置を行ったのだ。これは安楽死とは言えない、嘱託殺人事件だが、安楽死を求めた女性の気持ちを察しようとするような意見も発せられるようになった。
こうした事態を受けて、編者らは緊急セミナーを企画し、いのちの選別が生じかねない新型コロナウイルス感染症の経験と、死にたいという人を医師が「助けた」ALS患者嘱託殺人事件の二つを結び付けながら、安楽死とか、医療資源の分配とか、医療が人の命を縮め、死に至らしめることがどういう風に正当化できるのか、できないのか、なぜそうなのかということをともに考えようとした。
編者の2人は宗教学者で日本スピリチュアルケア学会の会員であるとともに、長く死生学・生命倫理に関わってきた。安藤泰至氏は安楽死・尊厳死言説を批判的に検討してきて、『安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと』(岩波ブックレット、2019年)という著書もあり、京都ALS患者嘱託殺人事件ではメディアからも求められて発言を行なっていた。島薗はデザイナーベイビーなどの問題を問う『いのちを“つくって”もいいですか?』(NHK出版、2016年)という本を刊行したこともあり、コロナ患者への人工呼吸器トリアージ提言に疑問を投げかける発言もしていた。
安藤・島薗の2人が話し合いの枠組みを構成し、3人の方々にお話をうかがうオンラインセミナーを2020年8月から12月にかけて行い、それをまとめ直す形で本書が形をなしてきた。川口有美子氏はALS(筋移植性側索硬化症)患者のサポートに関わってきて、難病患者が生き続けるのを諦めざるをえなくなるような状況がどのようにして生じるのかについて患者や関係者の方々と考えて来られた。大谷いづみ氏はポリオ(小児まひ)サバイバーとして困難と闘いながら安楽死・尊厳死言説の歴史について研究し若者とともに考えてこられた。そして、児玉真美氏は重度の障害をもつお子さんを育てながら、安楽死許容の拡大など障害者を生きにくく感じさせる方向での世界の動きについて考察を重ねてこられた。それぞれ当事者的な立場と研究者的な立場をあわせもち長く問題に取り組んできた方々である。
安藤氏はこうした問題を考えるとき、私たちが「いのち」を見るまなざしそのものが問われていると述べている(19ページ)。川口氏は「死を覚悟してきた人が、ある日突如として生きる方向へ向き直す、そんな場面に……何度も立ち会いました」と述べている(55ページ)。大谷氏は「生かされる」という言葉を「生きたくないのに生かされている」と受け取る若者が増えているという逸話をあげている(106ページ)。児玉氏は「自分自身が生き物として生きるに生きられないところに追いつめられてしまったら、親だって見捨てるしかなくなる、殺すしかなくなるんです」(216ページ)と述べている。
私は「あとがき」に本書の題について、「私たちは、これが現代社会の大きな問いが医療の現場で現出していることを捉えようとした題と考えている」と述べている(255ページ)。経済的に豊かであるとされている国や地域で、「いのちが見捨てられる」と痛切に感じる事態が生じている。そのように感じざるをえないような人々が多数いることが露わになったことに向き合おうとするものだ。医療や介護などケアの現場でそれが目立っている。死者を手厚く看取り、死別の悲嘆を支え合うといった事柄とも深く関わる課題である。