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第15回 西平 直(本学会理事・出版委員会委員長)

 不思議なご縁でこの学会に参加して十数年。気が付いたら理事となり、学術大会を担当し(第10回大会)、今は学会誌の編集長を務めている(出版委員長)。しかしどうもしっくりこない。馴染んでいるのかいないのか、学会の中で何をしたらよいのか(何が期待されているのか、何をさせていただくことができるのか)。はっきりしない。昭和の言葉で言えば「アイデンティティ」が定まらない。そこで自己紹介を兼ねて、これまでの自分の歩みについて書いてみる。

 大学の四年間、哲学を学んだ。ハイデガーで卒論を書いたのだが、それは卒業単位のためであって、本当は手当たり次第、乱読していた。それでももう少し勉強したいと大学院に進み、哲学の専門的な訓練を受け始めたのだが、その厳密なテクスト解釈に息が詰まってしまった。外国語の文献をひたすら(余すことなく・超えることなく)忠実に読む。このまま一生、この作業を続けてゆくのかと思ったら、絶望的な気持ちになった。ではどこに逃げたらよいか。心理学・社会学・宗教学・神学と話を聴いて回ったのだが、結局、最も「ゆるい」と感じた教育学に移った。その「ゆるさ」は確かに心地よかったのだが、逆に今度は、話が大きすぎて、収拾がつかなくなった。専門性が見えなくなってしまったのである。

 もしかすると、その「ゆるさ」が、この学会に似ている。異なるディシプリン(学問上の専門性)を持った人たちが、同じ「ケア」という出来事を多角的に検討する。本当はものの見方を豊かにするための絶好の機会であるのだが、一見すると、混乱に見えてしまう。どうやらこの学会は各職種(ディシプリン)の訓練を終えた人たちの集まりなのである。自分なりのディシプリンを身に付けておかないと、多様な話に振り回されるだけになる。とはいえ、そうした事情を承知で参加して下さるならば、誰でも歓迎。開かれた集まりなのである。

 さて、大学院に十年間も在籍していた私は、博士論文を書かねばならなくなり、苦し紛れに、エリック・エリクソンの思想を研究した。それはそれで面白かったのだが、作業を続けながら、「これだけではない」と感じ続けた。私が学んでみたいのは、もっと大きな広がりであり、もっと流体的な動きであったはずだ。そう考えた私は、まったく生意気なのだが、アカデミズムの学問に別れを告げ、たまたま職を得たこともあり、職務をこなす以外は、さまざまな「フィールド」を歩き回わることにした。フィリピンの少数民族の村に学生たちと滞在したり、踊りや太鼓の集まりに通ったり、ヨーガに夢中になったりした。現場の中に身を置いて自分のからだの内側から生じてくる「ことば」を待っていたのである。そしてその中で多様な「スピリチュアリティ」と出会った。とは言え、生来の臆病者である私は、どの道にも徹底することができず、いつも書物に逃げこみながら、それでも「フィールド」に憧れ続けた。楽しかったのか、つらかったのか、よく分からない。ただその中で、結局自分は書物と向き合うしかないと、断念に近い納得が来た。その代わり、自分が本当に大切と思えるものだけ読む。そして「死んだ後」や「生まれる前」の思想に夢中になり、『魂のライフサイクル』という本を書いた。

 こうした「フィールドと学問の往復」もまた、この学会に共有される問題であるように思われる。一方で、スピリチュアルケアは実践である。その時・その場の・一回限りの出会いである。しかし他方で、スピリチュアルケアは学問的検討を必要とする。異なる視点と対話を重ね、自らを相対的に検証する必要がある。そうしないと「独り善がり」に陥りやすい。異なるフィールドで展開される一回的な実践と実践とが学問的に対話する機会。この学会はその困難を宿命的に背負っているのではないか。

 ところで、私はある時期まで、欧米の思想を学んできた(近代日本のアカデミズムはみんな欧米の学問を追いかけてきた)。ところがある時期から違和感が大きくなった。自分がその中で生まれ育った文化のことを知りたい。そして日本の思想を読み始め、あれこれ読んでゆく中で、世阿弥に出会った。なぜ世阿弥だったのか、それもよく分からない。「世阿弥に呼ばれた」とでもいうのだろうか、気が付いたら夢中になっていた。世阿弥の言葉には何らか特別な意味が秘められている。今から思えば「崇拝」に近かった。そのためか、膨大な世阿弥研究をいくら読んでも満足しなかった。もっと奥があるはずだ。世阿弥は本当のところ何を語ろうとしたのか。あるいは、語ろうとして語りえなかったこともあるのではないか。そんなことばかり考えていた。いわば、既成の言葉を跳ねのけて、世阿弥そのものの言葉の内に入り込み、その言葉の内側から香り出てくる何かを言葉のうちに納める仕方で、自分自身は透明になってゆく。その悪戦苦闘が『世阿弥の稽古哲学』という本になった時、鎌田東二先生が「この本は否定の文章から成り立っている」と見抜いてくださった。あれも違う、これも違う、本当は自分の語る言葉も違う。私はまるで駄々っ子のように、違う違うと繰り返しながら、世阿弥を追い求めていたのである。

 もしかするとこの点も、この学会に秘められた宿命的な困難ではないか。本当は言葉にならない。言葉では語り得ない。その頂(いただき)を目指しているのであれば、言葉が何を語っても、違う。しかし言葉にしないと共有されない。あるいは、本当に共有されているのかどうか、確かめようがない。おそらく、そうした「不満(もどかしさ・不全感)」を、この学会は宿命的に秘めている。あるいは、この学会はそうした「不満」を共有することから始まったのではないか。とすれば、納得できない思いが消えることはない。その現実を受け入れた上で、それでも少しずつ互いの違いに触れてみる。ものの見方の違いに驚きながら、それでも少しずつ変わってゆく。そうした繊細な出来事が体験される、壊れやすい地平。この学会は何度もその地平を確認しながら、何度でもそこから歩み直してゆくしかないのではないか。そんなことを思っているのである。