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第12回 大山 悟(臨床パストラル教育研究センター代表)

ヴァルデマール・キッペス神父を悼む

(キッペス先生はカトリック教会のレデンプトール修道会に属する司祭でしたので、ここではキッペス神父(敬称)と表記します。)

 

 それは突然でした。2021年11月1日、キッペス神父の訃報が飛び込んで来ました。健康状態があまり良くないと聞いていましたので、いつかお見舞いに行きたいと思っていましたが、コロナ禍の中でもあり躊躇していました。そういう時に訃報がとどいたのです。享年91歳。十分に生きたのですね。これまでありがとうございました。しかし『臨床パストラルケア教育』に関して、まだいろいろ教えていただきたかったです。残念です。

 キッペス神父は1991年以降、臨床パストラルケア教育研究に力を注ぎ、患者の心・霊・魂のケアに努めました。また日本・韓国やドイツなどで黙想会および人間関係とコミュニケーション・傾聴・価値観の明確化・人生の意義・信頼・愛をテーマにしたワークショップなどを実施しました。

 1998年には『臨床パストラル教育研修センター』を立ち上げ、「スピリチュアルケア」や「パストラルケア」ということばを、日本社会に伝え、浸透させたおひとりであったと思います。

 

 キッペス神父は特別の名刺をもっていました。それは「あなたのともだち イエス」という名刺でした。住所は「あなたのそば」、電話は「心を開いて話せば通じます」、「年中無休24時間on call」、そして「~あなたが大切です~」という言葉もその名刺に添えていました。イエスの心で、イエスと共に、今友を必要とする人のそばに居ようとする心に生きた人でした。この心にキッペス神父の「パストラルケア」活動の源があると思います。単に病人のスピリチュアルな叫びに添い、傾聴するだけでなく、イエスと共に、イエスの心で、イエスの霊によって、その病人と共に居て、その人の実存そのものを支えようとしていたのではないでしょうか。「わたしにはイエスへの信頼に基づく信仰がある」と言っていましたが、友を必要とする人をイエスの霊に出会わせようとしていたのかも知れません。

 2005年、キッペス神父はドイツにて心臓の大手術をうけられました。その時「死を考え、命を生きること、命の意味、病気であることについて深く考えさせられた」と語っておられました。極限の状況に投げ込まれた人が感じる、いのちについての思い、いのちの重み、生かされている有り難さを感じたようでした。その時からはスピリチュアルケアへのとり組みが、少し変わったように感じました。

 キッペス神父によると「生きることは現実とぶつかりながら歩むこと」であり、「人生の問題をマニュアル通りに解決することはできない」こと。ゆえにいつも問題に向き合いながら生きている人がその状況を変えるためには、「行動を伴う信仰が必要である」という思いがあったようです。キッペス神父は祈りや典礼の形にはとらわれないけれど、信仰の人でした。「必ず神が何とかして下さる」ということばを、何度も耳にしました。実際、多くの場合、事は動いていきました。

 

 キッペス神父は「強い信念」を持った人でした。その信念はどこから来ていたのか。「強い信念には、勇気、危険を冒す能力、苦痛や期待はずれを忍ぶことが必要とされる」とある著書で述べていますが、小さい時の戦争体験が、ドイツ人気風の彼をさらに強靱なものにしたのでしょうか。

その個性の強さ故に、事を行き詰まらせた面もありましたが、反面、大きな壁を乗り越え、事を動かしてきたのも事実です。1997年9月に福岡の神学院を訪れ「『臨床パストラルケア教育』を始めたいので、哲学、神学の講座を開催して欲しい」と要求してきました。しかし神学院では種々の状況を考慮し「講座開催は難しい」と答えましたが、1998年4月には長崎教会管区大司教より、神学院に「臨床パストラルケア教育」に協力するようにとの強い要請が出され、講座開催に向けて少しずつ動いていきました。キッペス神父の信念の強さが事を動かしたのでした。

 キッペス神父のことばの強さに泣いた研修生もいました。まわりくどい言い方はせず、自分の思いを直接に表現しました。キッペス神父との関わりが少ない人には、大きな戸惑いとなりました。しかし、キッペス神父の表現になれ、ことばの真意が分かり始めると、研修生は大いに成長しました。研修生は自分の弱さに気づかされ、自分の殻を内から破り、価値観を変え、自分を変革して行きました。

 

 キッペス神父は病人に対しては優しかったように思います。しかし病人に関わる私たちの姿勢に対しては厳しいものがありました。十全なスピリチュアルケアが出来るために、傾聴のスキルだけではなく、心からその病人のために祈り、その方と心を合わせるようにと繰り返し強く指導していただきました。病院での研修の時、医師、看護師、聖職者の服装をせず、一般人研修生として病人に関わることで、病人の心の開き度が大いに異なることをも体験させていただきました。「病人は訪問して下さる人の身分や姿を見て信頼し、何でも求められることに素直に従いたい気持ちになります。しかし病人の素の叫びは聞けなくなります。他方、一般人研修生として訪問する場合、病人に拒否されるか、あるいはその病人の心の叫びをぶつけられます。」といわれました。キッペス神父はいつも「ほんものである」ことを求めました。ご自分もそれを求め続けたでしょうが、私たちにも常に「ほんものである」ことを求めました。

 もしまだキッペス神父が生きているなら、私たちに第一に何を求めるでしょうか。やはり「ほんものである」ことでしょう。「あなたは自身『ほんもの』ですか。自分を偽り作っていませんか」「あなたは今「ほんもの」の関わりをしていますか」という問いが聞こえてきそうです。

 キッペス神父は2021年10月31日20時50分に逝かれました。それは新たな形での関わりの始まりです。今私たちの心の中で生き生きと語り続けておられます。キッペス神父様、いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

敬具

 

2021年12月26日

臨床パストラル教育研究センター 
 代表 大山 悟