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第4回 渡部 友希子(指導スピリチュアルケア師)

悲しみを大切にしたい

 自分がスピリチュアルケア師などというものになるとは思ってもみなかった。
 10年前には。

 それは阪神淡路大震災の翌年のことだった。27歳になるはずの、お空の子どもと出会ってから、私はその子に出会う前の私ではなくなった。出会った当初は暗闇の中、世間から弾き飛ばされたように感じていた、と今となって振り返る。お子さんを亡くされた親の会があると声をかけてくださった恩師。「私が行ってもいい場所があるんだ」希望の光だった。
結局、夫の転勤でその会への参加は叶わなかったが「安心して話せる場所」があることの有難さをあの時、肌感覚で知った。目にはみえない子どもはいなかったことにしたくないな、本当はいるのにな、どうしたらいいのかな、という気持ちを抱えながらも月日は流れた。「お子さんは何人?」と聞かれるのが苦手だった。「3人です」と答えて「本当は4人なのにね、ごめんね」と心の中でお空の子どもにその都度謝った。その子どもがお空で18歳になったとき恩師のお写真入りのチラシと遭遇。上智大学グリーフケア研究所の門を叩きそして開かれた。
 出産後の病室で真夜中に泣きじゃくる私の傍に根気強く黙って朝まで一緒にいて話を聴いて下さった看護師の方への感謝と憧れ。それを胸に「聴く」を学べると思い込んでいた。実際は「話す」訓練があり、話すことが苦手な私は尻込みした。周りのクラスメイトの多くは医療者。一介の主婦が場違いなところにきてしまった、と後悔の日々。お空の娘を介して持つに至った信仰もゆらぐ体験。もう辞めてしまいたい、と真剣に考えるようになった。
 その頃、スーパーバイザーの先生との面談に救われた。「主婦の仕事を換算したらいくらか計算した人がいるの、知ってますか?」 主婦もひとつのプロフェッショナル、主婦だからできる傾聴がある、という見方にひらかれて、わたし、辞めなくてもいいんだ、ここにいてもいいんだ、と思えた。そこからは肝がすわった。やるからにはしっかりやろうと腹を括れたように思う。
 集中実習で同じグループになった同期生の中に、周産期のグリーフケア活動をされている方がいた。一期一会。今もその活動に参加させて頂いている。そのときオブザーバーとして見守り、他の誰よりも泣いて下さった方がそれ以来ずっと今現在もお世話になっている恩師。やがてスピリチュアルケア学会に参加させて頂くようになった。ある先生の「スピリチュアルケアは日々の生活の中にあふれているのでは?」というお話に涙がこぼれた。講演を伺って泣いたのは人生初だった。

 研究所での学びが終わりに近づいた頃、猛烈に、学び続けたい想いが沸き上がった。「おかんらしくないな、挑戦もせんとやめるん?」家族の言葉に奮起。新設された大学院の門を叩きそして再び門は開かれた。指導教員との初めての面談はずっと泣きながら話していた。今となっては恥ずかしいばかりで申し訳なく思う。あのときも「安心して話せる場」を作ってくださっていたんだなと今となっては感謝しかない。先生方が見守ってくださる空間で「けんかではなく、思っていることを対等に安心して正直に話せる場」があることを知った大学院の授業。歳に関係なく知らなかったことを知る喜びに出会った。
 グリーフケア研究所と大学院在学中に、現在にもつながる大学の外での学びと実践の場を、ふたつもいただいた。
 ひとつは、周産期のパパママたちが経験するグリーフをケアする活動。流産・死産・新生児死を体験されたお母さま、お父さまのお話をお聴きする。お別れの時期がいつであろうと、わが子への想いには何の違いもないことを実感するようになった。と同時に、似ていてもひとつとして同じ経験はない世界を味わう毎回のミーティングを重ねる。元気に産まれて育つことが決して当たり前ではないことをお腹の底から感じた。すると今、この世で自分と出会ってくださっている1人1人に、感謝したい思いが湧くようになった。たとえ意見が合わない人であってもみんなかわいい赤ちゃんだったんだという気づき。
 もうひとつの学びと実践の場は、山谷地域(さんや。東京都台東区と荒川区にまたがる、労働者のための簡易宿泊施設が集まる地域)にある訪問看護ステーション。そのステーションで受け入れを担当してくださったのが、グリーフケア研究所で同期生だった看護師の方。実習がご縁でそのステーションのグリーフケアチームの一員として受け入れていただき、現在も継続中である。
 山谷の訪問看護ステーションでの活動で出会わせて頂く方の中には戦後の日本の復活と成長を支えてくださった方々もおられる。今は高齢となられ独居の方も多いが懸命に生きてこられたお話を伺うと心からの尊敬の念が湧く。また、一般のご家庭に伺えば日本、世界で起きていることの縮図を見せて頂いているようで、また自分の母たちの暮らしを想う。
 スピリチュアルケア師ならではの働きとは何だろう。もっと真剣に考えて言語化に努めなければならないと思う体験が向こうから適切な時にやって来てくれる感じ。多くの恩師、憧れの同期生の背中を遠く後ろから追いかけて追いかけて気づいたらここまでたどり着いている。
 希望を見出して頂きたい、笑っていて頂きたい、と思う気持ちが空回りして失敗に繋がる体験もたくさんしてきた。それでもあきらめずこの道を進みたい私をどこかで見守っていてくれる人がいることを信じられる幸せに支えられている。
 恩師、同期生をはじめ私と出会って下さった方、出会って下さっている方への感謝を胸に歩いて行きたいと思う。