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第5回 福村 文生(専門スピリチュアルケア師)

ユニークなスピリチュアルケア師を目指して

 幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく

 同郷の歌人・若山牧水の歌である。幼い頃、父に意味を尋ねると「いったいどれだけの山や川を越えて行けば、寂しさがない国にたどり着けるのだろうか。そう思いながら、今日も旅を続ける。」と教えてくれた。こども心にかなしく、せつなくなったが、どこか遠い世界のことだった。今はこの歌が心にしみて身近なものに感じている。

 十二年前に妻を病気で亡くし人生の岐路に立たされた。自分自身を形成している大部分をも妻とともに喪ったように感じ、自己喪失感、疎外感、空虚感に苛まれ、生きる意味を見出せなくなった。その後、グリーフケアに出会い、ケアされることを通してケアを学ぶことで、妻を喪う前の自分とは全く違う自分へと変容した。

 税務職一筋四十二年、四年前に公務員生活に別れを告げた。税務に携わる方は数多くいるがケアに携わる方はまだまだ少ない。ひとり暮らしの気儘さも加わり、税務とは全く異なるケアの世界へ足を踏み入れることを決めた。

 ケアの実践を始めて三年が経とうとしている。現在行っている活動は、社会福祉協議会協力会員としての話し相手(毎週1回)、アルコールや薬物依存症者の回復施設への支援(毎月2回)、わかちあいの会(遺族会)へのスタッフ参加(毎月2回)等である。紙幅の都合上、活動のすべてを紹介することはできないので、わかちあいの会についてご紹介したい。

 会を立ち上げようと、市民活動センターに相談したところ、偶然にも時を同じくして立ち上げ準備をしている方に出会い、一緒に活動を始めることになった。その輪に一人また一人と仲間が集い、今では様々な職業の方と活動をともにしている。会を始めた頃は参加者も少なく、どなたも来られなかったり、スタッフばかりのときもあったりしたが、今は二桁の参加者を数えるときもあり、浸透しつつある。運に恵まれたこともあるが、一歩踏み出すことで、道が拓かれることを実感した。
 会の様子をほんの少しではあるがお伝えしたい。
 初めて参加される方は、どのような方が来ているのか、どのような雰囲気なのか、緊張の面持ちからその不安な気持ちが伝わってくる。初めて参加された方に今の気持ちを思う存分お話しいただく。普段は話せないこと、家族には話せないこと、同じように大切な方をなくした者同士だからこそ話せることが、心の叫びとして解き放たれる。話し終えるまで、みんな頷きながら、ただただお聴きする。
 ときに訪れる沈黙、それはとても大切な時間。聴き手が、話し手の語りに心揺らされ、自己の経験と重ね合わせ想起するときでもある。邪魔にならないよう、どなたかがお話しいただくまでじっと待つ。けれど、会の時間は限られている。沈黙を大切にしたいが、進行も求められる。その葛藤、どなたも発言しそうもない雰囲気を感じとり、頃合いを見計らって、言葉を掛けるのだが……。もう少し待った方がよかったのではないか、さじ加減の難しさにいつも心痛める。
 休憩時間。場の雰囲気に少し慣れ、こわばっていた表情が和らぎ、お菓子をつまみながらの談笑。参加者の本音がポロリとこぼれる瞬間でもある。眠れない、食欲がない、何もやる気がおきない、様々な心身の痛みが訴えられる。
 会の終了。参加者は否応なく現実の世界に戻される。「ありがとう。」「また、来ます。」とスタッフへの感謝の言葉に安堵し、こちらも元気をいただく。来月も参加してもらいたい気持ちと、生きる希望を見出して会に参加しなくてもよくなるときが早く訪れることを願う気持ちが交錯する。 などなど

 これからのことに触れてむすびとしたい。
 ケアを学び、実践を通して、ますますスピリチュアルケアの重要性を実感している。
 高齢社会、ゆくゆくは私自身がケアされることも視野に入れて、「高齢者がケアをする必要性」が求められているように思う。
 微力ながら、自分の置かれた場所で精一杯に生きて、人と関われることに喜びを感じ、自分に求められている役割を果たしていきたい。私に残された時間を少しでも多く、ケアを必要としている方とともに使っていきたい。