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第30回 大下 大圓(本学会理事・認定スピリチュアルケア師・沖縄大学客員教授)

セルフ書評『死ぬのは怖くありませんー45年間スピリチュアルケアを実践してきたお坊さんの結論』

 スピリチュアルケアの現場では、ケアラーがクライエントに先行して回答しないことが原則である。そういう意味で本書のタイトルには、著者自身がクライエントというニュアンスが込められている。
 著者は幼児期に、幾たびも「砂漠で死ぬ夢」を観る体験や近所の住人の「自殺現場とその人を目視した」すざましい体験、「姉兄2人との死別体験」などから「人は死んだらどこへいくのか」と、苦悶する少年期を過ごした。4人兄弟の末っ子で家族には愛されつつも、12歳のときに縁があって千光寺で出家した。またその後の高野山での修行中に喉に腫瘍ができ、その手術中に起きた「臨死体験」的な経験から、この世から死後の世界への移行する意識に関心が高まった。
 高野山、スリランカでの修行後に、飛騨高山の自坊の飛騨千光寺で僧侶生活を始めるが、「死のテーマ」は離れなかった。闘病中の檀徒を病室に訪ね、患者の話をひたすら聴いた経験から「寺院だけでなく市井に飛び込む僧侶」を始める。やがて傾聴活動の有意性から地元で医療福祉ボランティアの会を結成した。これが著者のスピリチュアルケア活動に進むきっかけとなり、それから45年の歳月が過ぎた。

 本書は、死に対する人間の情動反応を、著者の体験を通じて語ることから展開する。多くの人が死ぬことへの恐怖や不安の背景にあるもの。死を目前にした人のもっとも大きな情動反応は「死を恐れる」ことであるが、その恐怖心には、「①肉体的な痛み死の恐怖と不安、②精神的な死の恐怖(孤独感)、③家族・社会からの分離による恐怖、④宗教的な死の恐怖(罪的恐怖)、⑤成就できないための恐怖」などがある。
 そして、それぞれの人が自らの死を意識しつつ、さまざまな死生観を描く。おおまかな死後観、他界観は、「①いのちはこの世限りで、あの世や魂などはない、②肉体とは別に死後生(魂や意識体)があって、輪廻(生まれ変わり)をする、子ども、孫のDNAや遺伝子に受け継がれていけばそれでよい、④自己を超えて宇宙性に統合す」という死生観を紹介する。それが第1章、2章に登場する内容である。
 あくまでも一般書でありつつも、概観的に専門的な死生観の概観が第3章で紹介される。目次から「古代日本の死生観、沖縄群島の死生観-天上の「オボツカグラ」と海上の「ニライカナイ」、儒教の死生観―死後の世界のことはあまり考えない、道教の死生観―灯籠流しの風習は陰陽道から、仏教(日本)の死生観、空海の死生観、成仏するための道しるべ、平安時代の死生観―地獄と浄土、禅宗の死生観―死後の世界を語ることは迷いの世界に居ること、武士道の死生観―本当の勇気とは何か、明治現代の死生観―廃仏毀釈の荒波の中で、現代の死生観」である。

このような展開から、著者は死生観を分類している加藤周一の説を引用して近代の日本人の死生観を説明する。それは主なこととして、「家族、血縁共同体、ムラの共同体は、そのムラ社会を維持するための構成員として、生者と死を含む通過儀礼を営んできた。共同体の中では、劇的ではなく静かな死として『よい死に方をする』ことが重要であった。・・・日本人の死に対する態度は、残酷性や劇的な死を見ながらも、感情的には「宇宙」の秩序の、知的には自然の秩序に同化して、あきらめをもって受け入れる」などとというものである。
 また、第4章では賢人の死生観にふれ「ソクラテスの死生観-霊魂不死の信仰、ウラジミール・ジャンケレビッチの死生観¬―蝶のように飛び去る、金子みすゞの死生観―独自のスピリチュアリティ、立花隆の死生観―『臨死体験』を執筆して得た思い、田坂広志の死生観―「死は存在しない」とは、三沢直子の死生観―「あの世」との交流を行う、信頼できる天地の対話とは、医科学者が語る死後の世界」と語り、「死後の世界は論証済み」という結語に導く。

 終章では、現代におけるスピリチュアルケアの取り組みを紹介し、それでも「死の不安がある」人への具体的な市民活動として援助の方法を語る。それは訪問スピリチュアルケアによって、不安な気持ちを丁寧に傾聴し、支援の手をさしのべる「慈愛会」の活動が紹介されていて、救済を申し出る人だけでなく、支援に回る側の立場もどのような行動によって、地域に密着でできるかのアシストがある。
 最後に「祈り」や「瞑想」が人の霊格(スピリチュアリティ)をあげるツールであることも紹介している。
 スピリチュアルケアの臨床では、どこまでもクライエントの苦悶に寄り添い、その人自身の成長する力を信ずることにある。「死の不安」は個別性がありながらも、成育歴や教育環境も影響することから、ケアラーが中立的に留まりつつ、一歩踏み込んだ傾聴を試み、クライエントの内面世界に寄り添えるかが問われる。

拙い経験談ではあるが、苦悶しつつも日々スピリチュアルケアを実践する人に、本書を読んでいただき、何かの知見を得て支援活動の参考にしてもらいたい。