代表理事挨拶
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日本スピリチュアルケア学会の目指すもの
日本ではケアにおけるスピリチュアルな次元があまり意識されない時期が続いてきた。病院にはふつう祈りに場が設けられておらず、たいていの病院にはチャプレンがいなかった。しかし、病気で苦しんだり、死に直面したりするとき、心が祈りの姿勢をとるのは自然なことだ。苦難には身体的な次元、心理的な次元、社会的な次元があるが、さらにスピリチュアルな次元もある。人の力で解決できない苦難のスピリチュアルな次元をスピリチュアルペインとよぶ。そして、スピリチュアルペインに向き合いながら、その人に寄り添い、支えていこうとするのがスピリチュアルケアである。
日本でスピリチュアルペインに向き合うケアの必要性が広く認識されるようになったのは、1970年代以降のことだ。英国で聖クリストファー病院にホスピスができたのは1960年代の後半のことだが、日本でもホスピスにあたるような死にゆく人へのケアの場が設けられるようになっていった。80年代に至ると「死の準備教育」といった言葉も導入され、自らの死が近いと意識するのではない人も死について学ぶべきだとする考え方も広まり、死にゆく人のケアをしたり、死別の悲嘆に見舞われたり、自殺を考える等、さまざまなかたちで死に向き合う経験をもつ人々が語り合う場がもたれたりするようになった。上智大学のアルフォンス・デーケン教授に触発されて発足した、生と死を考える会が全国に広がったのは80年代のことである。
災害や事故、事件等を通して、あるいは予期せぬ病気や自死等で大切な人を喪い、辛い悲嘆を経験した人々が、その悲嘆を語り合える場をもつ例も広がってきた。グリーフケアであるが、これは専門家がクライエントにケアを施すというかたちもあるが、悲嘆をもつ者同士がともに思いを語り合える場をもつグリーフケアの集いが広がっていく。早い段階のものに、1985年の日航ジャンボ機の墜落事故の犠牲者の遺族らによる「8.12連絡会」がある。子どもを亡くした親たちが集いをもつ早い例に、「小さな風の会」があり、80年代の末のことだ。グリーフケアもスピリチュアルケアと言ってよい場合が多い。
死別だけではない。さまざまな喪失もときに重い悲嘆をもたらすことがある。住み慣れた環境や生きがいとしていたものの喪失、やりがいのある仕事や自らへの誇りの喪失もスピリチュアルペインをもたらすことがある。90年代には阪神淡路大震災があり、多くの人が思いがけずに家族や親しい人との死別を経験し、やりきれぬ悲嘆に苦しんだ。故郷喪失や生きがいの喪失を経験する人も多数出たが、そうした人々へのさまざまな支援も広がっていった。その後も地震や豪雨等による災害は続いたが、とりわけ2011年の東日本大震災では2万人にも及ぶ死者が出て、スピリチュアルケア、グリーフケアの必要性が広く認識されるようになった。
この学会の特徴として、海外の同様の学会から学ぶことはもちろん多いが、日本の学会として独自の枠組みを考えていく側面が多々あるということがある。米国や西欧諸国のチャプレンによるスピリチュアルケアが一つのモデルにはなるが、キリスト教の伝統の下で形成されてきた西洋諸国のそれをそのまま日本にあてはめることはできない。西洋諸国では特定宗教の信仰をもつ人々に、同じ信仰をもち聖職者であったり霊的な経験が豊かな人々がケアをするという形が想定されている場合が多い。
しかし、日本ではさまざまな信仰をもっている人々がおり、「無宗教」の人も少なくない。だからといってスピリチュアルペインに無縁なわけではない。そういうなかから、日本でもさまざまなかたちでスピリチュアルケアの実践が行われてきている。キリスト教系の病院や介護施設だけではない。仏教や神道、新宗教などの宗教者がスピリチュアルケアに取り組みを始めており、2016年2月には日本臨床宗教師会も発足している。臨床宗教師はスピリチュアルケアを実践する宗教者の研鑽の場であり、日本スピリチュアルケア学会と連携関係にある。そして、宗教や宗派の壁を越えて交流しつつ、さまざまな宗教的文化的背景をもつ人々へのケアを心がけており、インターフェイス・チャプレンシー(Interfaith Chaplaincy)を目標に掲げている。
さまざまな病院、介護施設などでスピリチュアルケアの場がもうけられたり、語り合いの場が開かれたりしている。宗教者によるケアだけではなく、医療関係者やケア専門職の人たちがケアのなかのスピリチュアルな側面を向上させようという試みもある。また、日本ではグリーフケアの集いのように、対等の立場で相互にケアし合う集いの形態が多く展開している。依存症の人たちの自助グループはよい先例であり、そうした形態に学ぶことも多々ある。
こうして日本におけるスピリチュアルケアは、世界の他地域に学びつつ、日本の環境に即したスピリチュアルケアのかたちを探って歩みを進めている。それはアカデミックな探求だけではない。臨床的な場面でのスピリチュアルケアの実践の向上をも課題としている。日本スピリチュアルケア学会は研鑽を重ねた会員にスピリチュアルケア師の民間資格を授与しつつ、日本におけるスピリチュアルケアの質的向上を図っているのだ。
このような課題を着実に果たしていくのは容易なことではない。会員自身の研鑽とともに、関連分野の方々との交流がたいへん重要と考えている。容易でない課題を担う学会の代表理事として自らの非力を自覚せざるをえないが、学会内外の皆さんのご支援ご助言を得て、何とか良き学会運営を行なっていきたいと考えている。
2023年2月18日
日本スピリチュアルケア学会代表理事
島薗 進