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第1回 金田 諦應(本学会代議員・広報委員会委員)

-東日本大震災 3.11 生と死のはざまで-

2011・3.11。東日本を襲った震度7の強い揺れ。局所的な揺れと違い、地球全体の振動を感じる。降り積もる無情の雪。被災地全体を覆った満天の星空は、大津波に流された遺体、人々の嘆き、悲しみ、そして畏れのすべてを包み込んで美しく輝く。宇宙と地上の狭間で自我は崩壊し、自他の境界線は限りなく透明となる。沸き起こる「慈」と「悲」。そしてこの震災は宇宙的な出来事となった。
巨大震災と大津波。そして福島第一原発事故。壊滅的破壊と放射能災害。そして多数の犠牲者。私たちは、震災と原発事故から発生した物心両面の苦悩を抱えながら歩むことになった。

絶え間なく遺体が運び込まれる火葬場。足元が覚束ない鉄仮面のような遺族。破壊された海岸の前で神仏の姿を見失った宗教者。現場から突き付けられる実存的な問いの前に立ち竦み、おざなりな宗教言語は崩壊していく。宗教者にはその人自身の言葉が求められた。やがて私達は泥の中を尺取虫が這いずり回る様に歩き始めた。
一年が過ぎる。遺体とヘドロの匂いが入り混じった風は、磯の香りを漂わせながら私たちの法衣に纏わりついて来た。海の再生が始まっていた。そこに探していた神仏の言葉が現成してくる。立ち上がってくる自我を超越した世界。「人は必ず立ち上がる事が出来る」そう確信する。そして私たちの視点は遙か宇宙からの視点へと昇華していく。

生きると云うことは過去・現在・未来という時間軸と家族・社会・風土という空間軸が仮に「私」と名付けられた結束点の上で展開するかけがえのない物語。人はそれぞれの物語を創造しながら生きている。私達の活動目的は一つ。突然の出来事で破壊され、凍り付いた時間と空間を再び繋ぎ合わせ、共に未来への物語を共に紡ぐ事。

瓦礫の中に仮設住宅集会所に「ホッとする空間」を作る。そこは動かなくなった感情を解きほぐし、共に未来への物語を紡いでいく場所。寛容・開放的で、適度にほぐされている空間。色とりどりのケーキとコーヒーの薫りが漂い、静かに流れるセルニアス・モンクのルーズなjazz。そして暇げに佇むちょっと軽めのお坊さん。その様な場所に人は集まり、問わず語りで苦しい胸の内を語り出す。やがて凍てついた心は融け始める。体験を他の人に伝えること、それは自分の中に閉じ込められた悲しみの物語を、少しずつ解き放つ作業なのだ。

片隅に土地の宗教風土から生まれた小道具達をさり気なく置く。握り地蔵は奥底にこびり付いた感情を呼び覚まし、位牌の前では命の繋がりを語り出す。風土が危機的状況になった時、風土によって育まれた宗教的資源が凍てついた心を解きほぐす。やがて止まっていた時間と空間が次第に動き出す。私達は揺れ動く心情と同期しながら、行きつ戻りつの長い時間を共に歩んだ。

宗教者には物語が展開していく「場」の創造、その「場」に留まり続ける「耐性」、そして個々の人生に添って創造される物語を受け止めるレンジの広さが要求された。悟りや救いを饒舌に説く事は宗教・宗派の教義の自己満足になっても、一人一人の救いにはならない。宗教・宗派的な文脈で語られる「救い」ではなく、その人の物語の文脈で語られる「救い」が自然に落ちてくるまでじっと待つ事が求められた。
傾聴活動は「自他」の境界線を越える作業。「場」は悲しみを引き寄せる「磁場」となり、そして「慈場」へと変化する。しかし「慈場」は同時に「悲場」なのだ。「慈悲」は厳しい言葉。切に他を想う心は同じ強さで己に返る。そこから「覚悟」が問われ、その覚悟を支え続ける「戒律」が命の奥から湧き起こる。

揺れ動く現場からは、常に自己の信仰が問われ続けた。信仰は問いと答えの循環の中で深まっていく。これが出来事の最先端で躍動する宗教者の姿だった。

「生き残った事には必ず意味がある」、そう言い続け、共に歩んだ10年の歳月。人々は、苦しんだ果てに絞り出された珠玉の言葉を、それぞれの物語に織り込みながらよろよろと歩き続けている。

荘厳浄土。浄土とは遥か彼方にあるのではない。「地震・津波」、「破壊と再生」。悲しみを背負った者同士、そして、その悲しみに共感する人々が、共に未来への物語を創造し続ける場所。そのような「出来事」が立ち上がる「場」こそ浄土なのだ。

時は夢・幻のように過ぎ、更地となった仮設住宅跡地に佇む。ここはかつて津波を生き延びた人々が肩を寄せ合って暮らしていた場所。いったいあの人たちはどこへ行ったのだろうか。あの出来事は夢だったのだろうか・・・。

私たちは被災地を吹き抜ける風。どこからともなく吹き来たり、いずこへと去っていく。後ろを振り返らず、そしてその痕跡も残さない。没蹤跡(もっしょうせき)これが傾聴移動喫茶「カフェデモンク」の最終形である。

このたび、金田諦應通大寺住職(本学会代議員・広報委員会委員)が『東日本大震災 3・11生と死のはざまで』(春秋社、2021年2月5日)を出版されました。10年を期してのふりかえりと鎮魂の書です。ケアに関わる多くの方々の参考になるものですので、是非、ご一読ください。

広報委員会