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第5回 弓山 達也(本学会広報委員会委員)

支援の現場で出会うスピリチュアリティ

本学会が2007年3月の発起人大会に始まり、翌年11月の第1回学術大会の開催を経て、2012年9月からスピリチュアルケア師の資格認定制度を開始したのは、東日本大震災における遺族のケア、慰霊や追悼、精神的な復興という社会的課題・要請があったからであろう。本学会の黎明期に震災があったことは本学会の使命を明確にした。同時期に研修や資格を整えた臨床宗教師や臨床仏教師の制度も同様の使命を有しているに違いない。そしてここに集う研究者・実践者にとっても、震災や被災地との関わりは、自らの研究や、オーバーな言い方が許されれば生き方の転換にもなっている。

 筆者もその1人かもしれない。最初は大学の業務命令で被災地にボランティア引率者の1人として被災地支援に参画した。その後、大学の業務とは関係なく、季節ごとにうかがうようになり、コロナ禍前は1~2月に1度は何らかの理由を付けては訪問するようになっていた。通う理由の1つは「非宗教者の宗教性」、つまり特定の教団とは何の関わりもない方々の実践や語りが、時として極めて宗教的であることに強い興味を持ったからだ。鈴木大拙風に言うと、教義や儀礼や組織以前の「宗教経験そのもの」、大拙はそれを霊性と呼び、もちろんスピリチュアリティと言い換えてもいいだろう。

 筆者がそのことに気づかされたエピソードをあげてみよう。2015年2月に気仙沼で、津波で流されてもほつれることになかった「奇跡のジーンズ」で有名なデニム工場を訪ねた。工場自体は高台にあって、被災を免れ、震災直後は多くの人がここに身を寄せた。被災者の仕事を確保するため、社長は震災翌月に工場を再開させ、さらに工場敷地内に仮設住宅の建設を誘致。工場に隣接する社長宅は無事だったが、彼女はそこではなく、仮設住宅に暮らしていた。聞くと「被災者が仮設からいなくなるまで私もここに住む」と、一緒に暮らしているのだという。自らの生活を差し出しての発願と実践には菩薩行を思わせるものがある。

 エピソードをもう一つ。2016年3月、いわき市内で「じゃんがら念仏踊り」という民俗芸能に関わる職人さんを訪ねた。それまで新盆のお宅に赴き行っていた「じゃんがら」を震災の翌年の3月11日にも行った。メンバーもバラバラで鉦や太鼓もままならないなかでの再開である。しかし彼は保存会で子どもたちに継承すべき民俗芸能と考えていた「じゃんがら」に、本来の意味を見出したのだという。それは「震災を区切りに、供養としてのじゃんがら」、「あの世とこの世とを、亡くなった人と現世の人とをつなげる会話のできる環境をつくる」役割の発見だ。菩薩行のような社長の利他の行為や、慰霊や追悼の意味を見出した慧眼にには「非宗教者の宗教性」、つまりスピリチュアリティとしか言いようのないものを感じる。

 被災地だけではない。貧困や差別に苦しむ人の傍らには、支援者の「非宗教者の宗教性」を見ることができる。ただこう書くと、非宗教者/宗教者双方からご異論をいただく。まず非宗教者からは自分がやっていることを宗教性やスピリチュアリティと言うのは違うという戸惑いの声である。そして宗教者からは宗教なしにスピリチュアリティはありえないと言う。

 2016年の暮れ、山谷のドヤ街の焚き出しでドラム缶のたき火にあたりつつ、女子高生を引率してこられた牧師と話す機会があった。宗教を信じていない彼女たちの行為は、宗教者のそれと同じくらい尊いものがあると述べる筆者を彼は言下に斥け、「いや重要なのは宗教で、彼女たちもやがて信仰に目覚める」と続けた。

 牧師の言う宗教や信仰と、筆者の言う尊い行為やスピリチュアリティには、それほど違くはないのかもしれないが、宗教者からすると筆者の物言いは組織や教義などを蔑ろにしているように聞こえたのだろう。筆者自身、スピリチュアリティにとって組織や教義を明確に掲げる教団型の宗教の意義が大きいことは理解できるが、まだ十分に自分の言葉で言い表すに至っていない。もしかすると一生判らないのかもしれない。しかし本学会での活動を通じて目を養い、言葉を磨き、やがては説明できるようになりたいと思っている。