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第24回 中島義実(本学会員・臨床心理士)

生という苦の舞台となった学校―なぜ、いかにして、そして明日を迎えるには

 生老病死。四苦。

 「老」「病」「死」に寄り添い向き合う方々の多い本学会において、学校教育にかかわる心理臨床にたずさわってきた私は異色のマイノリティなのだろうか。

 しかしそこにも苦訴はある。存在が危うくなるほどの。

 

 明治期に欧米から移植された学校制度が耐用年数を超えて久しい。

 近代国民国家形成の装置として設計されたそれは、我が国においても「富国強兵殖産興業」に資する人材を系統的に供給し、戦後の高度経済成長をみるまでは、家庭における育児や地域共同体における次世代育成との連動を強化しつつ総体として機能し、卒業時には社会が求める素養の共通基盤を実装することになるという「聖性」ある場であった。教師は「聖職者」とも呼ばれた。

 しかし1970年代に至り、産業構造が転換する。第二次産業から第三次産業に軸が移り、経済的豊かさに手の届いた国民の関心は消費生活へと雪崩を打つ。育児もまた消費の舞台となって核家族の私的な営為の色を増していき、学校や地域が保持してきた共同性との不協和が拡大する。高校進学が当然となれば学歴の価値は相対的に低下し、学校の聖性は薄れ、学習や登校への動力も減衰の一途をたどる1)。学校が育みつづけてきた価値と、産業界や各家庭が欲することとなった価値との違和が年を追うごとに増していく中にありながら、社会全体の行方を見据えて世界的な視野で根本からの再設計を講じねばならないはずの教育政策は対症療法的弥縫策にとどまるのが常であった。格差社会化が事態に追い打ちをかける中、政府は結局無策に等しい(当然ながらそのことに対して黙するものではない)。

 そのようにして互いにきしみ合うこととなった学校と各家庭、産業界や各種メディアとその醸し出す転変する空気、そして分断と空洞化の進む地域社会の狭間にあって、子どもたちも、その保護者たちも、日々摩耗し、時にひずみ、果てに破断にまで至る。聖性の残光が苛烈さを際立たせる。

 未来への播種をあまりに軽視してきた結果を虚ろに刈り入れるだけになってしまってから、どれだけの年数が空費され、どれだけの日々が蔑ろにされてきたことか。

 

 一見すれば子どもたちの笑顔と歓声は昔日と変わりない。しかし足下で進行している事態は手つかずで、齟齬ばかりが増えていく。にもかかわらず友との和気や日々の充溢をもアピールし続けねばならない務めまで、今日の子どもたちは背負っている。まだ何者でもない心許ない目に、たしかな道は見えず、霧ばかりが濃さを増し、うねり続ける。

 自分はこのまま存在していてよいのか。あるいはそもそも存在しているのか。

 報じられる幾多の事象の増していく数値は表層に過ぎない(数えられた一つひとつがそれぞれ固有に、数えられなかったことたちとともに重く深いのは言うまでもないにしても)。

 だれもが存在そのものへの脅威をどこかに感じながら、けれども心配されないような面立ちを保ち続けなければならない。浮いてしまえば叩かれる。沈んだ者は存在したこと自体が忘れられる。横並びの死守が至上命題となる。

 「生」が四苦の歴然たる劈頭であることが、ここにおいて露頭する。

 その苦とどうあるか。思わぬ深さ広さのある問いに向き合うこととなる。

 

 自ら意図して出生する者がいない以上、私たちはまずは「生きさせられる」存在である。

 その生を歓迎し、共鳴し、応答してくれる別の生命が先行していることに出会ってはじめて「生きている」というレイヤーが生じる。

 さらなる日々から「生かされている」眺望を何らかに得る者もある。

 けれども基層が「生きさせられている」であることに変わりはない。

 生の停止を求める者が絶えないのはそのためだ。

 私たちはまずは「生きさせられている」。

生そのものが、苦なのである。

「生きている」レイヤーをもたらし支える歓迎、共鳴、応答の輪が揺らぐ時、途切れる時、否めない基層の苦と向き合わざるを得ない。また明日が来てしまう。また朝が来てしまう。

生という苦。

 

そのような苦に寄り添うこと、向き合うこと。

あまたなされていることと思う。

いくばくかの心強い声2)に触れたことで、よりいっそうそのような音信を分かち合いたい思いが高まる。

なお広くから、さらに多彩に寄せられることを心待ちにしている。

 

 

 

1)以上に関する具体論は滝川一廣『子どものための精神医学』(医学書院,2017年)に詳しい。

2)たとえば、島田裕子「不登校児童生徒のスピリチュアルペイン―教育におけるスピリチュアルケアをめざして」『スピリチュアルケア研究』3,2019年,13-26頁。