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第21回 平 恵子(本学会会員・看護師)

 「看護師のスピリチュアルペイン」について書きたいと思います。修士論文をまとめるに当たり、「看護師がスピリチュアルペインを抱え続けるプロセス」というテーマで分析をしました。その結果を踏まえて、簡単に書きたいと思います。
 インタビューに応じてくださった15名の看護師は、様々なスピリチュアルペインを抱えています。その痛みは、死の淵にある患者に何もできなかったという無力感、身内を自分の病院で看取る事の辛さ、患者さんから拒否され続けたなかでの死別体験、身内の死産を取り上げる辛さなど様々な痛みを抱えていました。看護師は、自分の抱えているスピリチュアルペインについて、職場の同僚や上司と共有すること、分かち合うことをしていませんでした。その理由としては、大きく分けて自分の抱えているスピリチュアルペインについて「助けて欲しい、共有して欲しい」と思いを抱きながらも表出できなかった場合と、「助けを求める」という意識が無かったという2通りに分かれていました。何故、看護師は助けや共有を求める思いを表出できなかったのでしょうか。

 その理由は、看護師は自分のスピリチュアルペインとどのように向き合ってよいか分からない、また、どのように表現してよいかわからない、サポートの存在や求め方を知らない場合がありました。そして、周囲に助けをもとめようとしても、周囲の同僚、上司が業務に追われており言い出せだせない、周囲の雰囲気などをみて言い出せない状況がありました。またそのスピリチュアルペインの元になる出来事に対して、看護師が自責の念を感じており、更に自分を傷つけることを恐れていた故に、「助けて欲しい」と思っていても声にだせない状況がありました。サポートの求め方を知らないということに関しては、患者に寄り添うことは教わってきたが、自分の気持ち、感情に向き合うことは教わっていないためにどのようにしてよいか分からずにサポートを求めることが出来ない状況もありました。

 サポートを求める意識が無い理由としては、「プロだから自分で解決するもの」と思い込んでいる、管理職、専門看護師、患者の家族であり看護師という重複する役割をこなすのが精いっぱいで、自分のことで助けを求める意識さえなかったという状況がありました。このような状況のなかで、看護師は数年から長い人では30年くらい、スピリチュアルペインを抱えつづけながら看護を継続していました。
 何故、看護師は長い間、スピリチュアルペインを抱え続けているのでしょう。第一に考えられたのは、自分をケアする方法について教育を受けていないということでした。これは、15名の看護師が異口同音に話されたことでした。今、この点については、大学教育などで、教育されているところもありますので一概にはいいきれないのですが、看護師がケアをうけるという視点の教育を受けておらずに、苦しんでいる看護師がいることも事実です。そして、次に、看護師が自分のスピリチュアルペインに対して、適切なスピリチュアルケアを受けていないこと、辛さや、苦しみの感情を表出できる環境が整っていないことも長く抱える状況であるようです。また看護を継続することで、似たような場面に遭遇するため、当時の痛みや苦しみが蘇ることなどが、スピリチュアルペインを長く抱え続ける背景になっていることがわかりました。

 看護師も一人の人間です。患者さんが亡くなれば悲しいですし、その場面で自分の無力さを痛感する、自分を責めるような思いになります。頑なに拒否された場合は自分の存在を否定されるような思いにもなります。そして、家族が病気になった場合も、その人の家族としての不安や苦しみ、痛みに直面します。でもそのような思いを心の奥にしまいこみ、患者の前では笑顔で平静さを保ち看護をしています。その状況を「プロだから、当然です」という見方で手を差し伸べないのではなく、看護師も適切なスピリチュアルケアを受けられるような社会になって欲しいと願っています。看護師だけではなく、ケアに従事する人ほど、スピリチュアルケアが必要だと感じています。今、私は細々と、色々と悩み、スピリチュアルペインを抱えている看護師の傾聴をさせて頂いています。その中で、その方々の魅力や強み、看護に対する思いを発見することもあり、それをフィードバックしながら、ともに伴走させて頂いています。私にスピリチュアルペインを分かち合ってくださることで、少しでもその痛みが和らぎ、明日の看護に向かえるようになれば嬉しいです。そして、「ケアする人のためのケア」を模索しながら歩んでいきたいと願っています。